ダブルワーカーのよいこです。
これがパスロジでの最後の投稿になります。
パスロジでは本業をやりながらも、アルバイトとして約3年半勤めてきました。ラストはこの「アルバイト」について書きます。



多くの方が学生時代を含めれば何らかのバイトをした経験があると思いますが、私も学生時代から、かなり色々な種類のバイトをしてきました。
これは私が「色々なことに興味を持ち、かなり熱しやすく、しかし少しだけ飽きやすい」という性格にもよるのですが、同じことをずっと繰り返すのが苦手で、いつも何か新しい刺激を求めている部分があったからかもしれません。
大卒での就職先を広告業界にしたのも、広告業界なら、クライアントによって様々な業界のことを経験したり、色々な種類の業務があったりして、変化があって楽しいだろう、というところもあったので、まあそういう性分なんでしょう。

若い頃からやってきたバイト、こんなことをしてきました。

交通量調査
単発バイトの定番と言えばこれですね。交差点の舗道部分に椅子を出して座り、通行する車か人のカウントをカチカチしていく仕事です。高校の頃に日銭欲しさで何度かやりましたが、このバイト明けに初めて吉野屋で牛丼を食べて、美味しさに感動したことだけが妙に記憶に残っています。

肉屋
高校3年の時に知り合いのつてで、中野ブロードウェイの中にある大きな肉屋で週末のバイトをしてました。今は少なくなった対面式の肉屋で、お客さんから言われた商品の重さを測って包んで売る、というバイトでした。当時、高校生のくせに口ひげを少し生やしていたこともあって、肉屋の店員の仲の良いおじさんから、最初「あんた年齢30歳位?」とかまじに言われてへこみました。17歳の時に30歳って言われるとは・・・。相手から見られる年齢差のギャップが一番大きかったのがこの時です。(TдT)

そして大学に入るとバイトラッシュでした。というのも中型バイク免許を取ってバイクを購入し、さらに普通自動車の免許も取り、大学2年の時にはわざわざ家を出て、家から大学までよりも遠いところ(都心には近いのですが)にアパートを借りて一人暮らししたことがあり、その家賃などにお金が必要だったこともあり、バイトを掛け持ちでしていた時期があります。

家庭教師
大学生のバイトの定番ということで、大学に入って最初の始めたバイトがこれでした。有名な猛禽類のキャラクターを使った家庭教師センターに登録して、すぐに近所の中学生の家庭教師の仕事が来てやってましたが、定例の研修会みたいなのが渋谷の本部であって、当時バンドもやっててロン毛で真っ赤なダウンジャケットにジーンズという普段の格好で行ったら、他の家庭教師連中はみんな「いかにも家庭教師」って言う真面目な格好で来ていて、完全に自分だけ浮いて目立ってしまい、研修会終了後にテレビCMに登場していて当時は有名だった「フクロウ先生」に呼びつけられて、直々に「不謹慎だ」と怒られてしまいました。ちゃんと教えてれば別に格好なんてどうだっていいじゃないか…ということで、納得いかずにそれで辞めてしまいました。

アイスクリームショップ
種類が多いことで有名なアメリカ発のアイスクリームチェーン店が、高校の頃にバイトしていた肉屋と同じ中野ブロードウェイにあり、そのアイス屋を肉屋がフランチャイズとして経営していたために、肉屋の人から頼まれて、アイスクリーム店の店長が休みの日(週1日)に店長代理のバイトをしてました。
朝一番に店のシャッターを開け、午前中はひとりで店番しながら、本当はいけないのですが、いろいろなアイスを試食(?)して、いろんな種類のシェイクなどを試したりして、昼には「もう甘いものはいらない」という状態になり、昼過ぎにバイトのJKが来てからランチを食べて夜に店を閉め、お土産のアイスを持って帰る(これも本当はダメ)というイケナイ店長代理を続けてました。
店で売ってる31種類全部のアイスを1日で食べたことのある人は、お客さんはもちろんスタッフ含めて恐らくそういないと思います。(もちろん食べたのは少量づつですが)・・・m(_ _)m

中華料理店
アイスクリーム屋は週1日だけだったので、それ以外の日は、アパートの近くにある中華料理のチェーン店で厨房のバイトをしていました。
最初は麺類の担当でスタートして、そのあとメインの鍋ができるよう、中華鍋の使い方などを教えてもらい、中華料理の基本的な技術を覚えました。
油はラードを使い、家庭料理ではできない「油通し」と強力な火力での調理は、やっぱり中華料理は店で食べるのが一番、ということを十分に実感させてくれました。
この時の厨房での経験が、現在主夫(?)として毎日の食事を作ることができる基礎になっているのだと思います。

コンサートの警備
大学時代はずっとバンド活動をライブハウスとかでやっていて、その時の知り合いが音楽プロモーターの会社にいた関係で、ロックコンサートの警備のバイトの仕事をよく回してもらってました。いろいろなコンサートで警備をしました。外タレだと武道館でスティーブペリー率いるジャーニーとか、あとは厚生年金ホールでハウンドドッグの警備とかもしました。ハウンドドッグの警備のときは、ステージのすぐ真下で最前列の客席側に向かって柵を持つ警備で、ちょうど舞台中央が私のポジション。コンサート前の指導では、「絶えず客席側を監視して、絶対に後ろのステージ側を向いてコンサートを見ないように!」と言われていたのですが、振り向けばすぐ斜め上に大友康平が歌っている最高のポジションにいる状況で、後ろを見るなと言われても血が騒いで無理!
しょっちゅう振り向いてしまい、ボーカリストとしての大友康平の凄さに見惚れていたことを覚えてます。
このコンサート警備のバイトを何度もして気づいたことは、「ヘビメタやハードロックなどの激しい大音量の中のほうが眠くなる」ということでした。(^_^;)

装飾
映画やテレビドラマなどの撮影現場での装飾の仕事を、はじめはウチの近所にある日活撮影所で、そのあとは読売ランドそばにある生田スタジオでやっていました。
大道具がセットを建て込みして作ると、装飾というのは、そのセットに家具類や家財道具等々を持ち込み、セットの部屋の中とかを完成させる仕事です。いわば引っ越し屋と同じようなもので、うちのすぐそばに、日本でも有名な高津装飾という装飾会社があり、そこにはデカい倉庫いくつもに様々な家具や道具などが入っていて撮影用に貸し出しているんですが、そういうところでピックアップしてきた道具類をセットに並べ、撮影中は食堂で休憩しながらモニターでスタジオでの撮影の様子を見ながら待機し、終わったらまた片付けてトラックに乗せる、という仕事でした。
いろんなドラマの撮影現場での仕事をさせてもらい、なかなか面白かったですね。

ユースホステルのヘルパー
これはギャラがでないので、正確にはバイトではなく、三食寝泊まり付きのボランティアなのですが、四国の足摺岬の麓にあるユースホステルに大学1年のときに夏休みと春休みに2回、中型バイクでツーリングして現地に行き、各2週間ずつ、ユースホステルの運営の手伝いと宿泊する人たちのお世話をしたり、ミーティング(当時のユースホステルでは宿泊者が集まるコミュニケーションタイムがあったので)の仕切り役として、ゲームなどの進行とかをしていました。
そのユースホステルがちょうどお寺の一角にあり、住職さん家族がペアレントをしていたので、広い境内も含めての毎日の掃除が大変だったのと、飼っていた土佐犬の散歩も手伝わされていましたが、この土佐犬がメスにもかかわらず、めちゃくちゃ力が強くて、油断をするとすぐに背中に飛びついてマウントしてきたり、かなりひきづられながらの散歩が重労働だったことを覚えてます。
そのハードさのご褒美、というわけじゃないですが、すぐそばに砂浜と岩場のあるプライベートビーチのようなキレイな海岸があり、夏は昼間、ユースのペアレント家族の子供たちと毎日泳いで、透明度のすごい海を満喫していました。
今から思えば貴重な経験でした。

グループインタビュー
これも大学の先輩からの依頼で、広告会社に呼ばれて、ある製品についてのネーミングやパッケージのデザインについてだったり、テレビCMの様々なコンテを何種類か見せられたりして、同じように呼ばれた大学生たち数名で意見交換をする、というバイトを何回もしました。この時に広告会社ってこんな調査とかもしているんだ、ということを初めて知り、これが就職活動で広告業界を目指すきっかけのひとつになったので、自分の人生に影響があったバイトだと思います。

ルート配送
ワンボックスロングの保冷車に冷蔵の商品を積んで、都内や神奈川の百貨店の専門店街やスペシャリティストア(成城石井ですが)を回って納品してくる、というバイトを一時期週3日くらいしていた時があります。元々車の運転は好きなこともあり、また割と道に詳しい上に、さらに道路の混雑状況などに応じて、うまい迂回ルートを探したりするのが好きなほうなので、自分に向いているバイトだったと思います。銀座や日本橋などの都内や横浜方面の百貨店の搬入口から車寄せに置き、迷路のようにエレベーターを上下して乗り継いだりしながらバックヤードを通って売り場とか指定された冷蔵庫に品物を運ぶのですが、表の華やかな売り場とは全く違うバックヤードの顔を知ることができていい社会勉強になりました。
配達で運転していたハイエースロングのうち、1台はなんと累積走行距離40万kmを超えていて、国産車の力をまざまざと見せつけてくれました。エンジンはまだまだ快調に回ってましたし。
ちなみにこのバイト中、2回のスピード違反でパクられたことがあったのは、残念ながら余計でしたが・・・(^_^;)

プランニング
広告業界やWebプロデュース業界でプランナーをしていた関係で、転職後に、当時の知り合いなどに、コンペなどでのプランニングを頼まれることも多く、時間があれば引き受けていました。
ただし先日投稿した「プランナーとして」という記事にも書いたのですが、依頼してきた広告会社が私のプランニングにOKを出したら、その先にコンペで勝つか負けるかは関係なく、その時点でもちろんプランニングフィーをいただいてました。

デザイン
これも広告屋時代、Macを中心とした販売をしているショップがあって、そこのオーナーに頼まれて、当時何種類もあったMacの専門雑誌に載せる広告のデザインと版下作成をしていました。まだ完全にデジタルプリプレスに移行する前で、写植業はなくなりつつあっても、デザインデータを出力センターで印画紙出力して、それにトレペをかけて色指定などを行ったりして出版社に入稿して製版に回す、という時代でした。バンド仲間が入社した中堅広告会社からの依頼で、雑誌広告の制作のバイトではけっこう稼がせてもらいました。(^o^)

蛇足ですが、その後、印刷業界では完全デジタルプリプレス化が進み、写植版下屋に続いて製版会社が廃業に追い込まれていき、印刷でも色校正というのがほどんどなくなり、ましてや印刷所での刷り出し立ち合いで本機を回しながらインクの盛りで色調整するようなアナログなプロセスはなくなってしまいました。
ちょうど私がその過渡期で両方を知っている最後の世代かもしれません。



という感じで、思い返せば、今まで非常にバラエティにとんだバイト経験をしてきたと思います。
そしてそういう様々な経験が自分の糧になり、プランナーとしての柔軟な発想や多彩な視点に繋がっているのだと確信しています。
この歳でバイトしている、というのも変かもしれませんが、歳に関係なく、絶えず新しいことをしていたいという性格なので、パスロジでの3年半のバイトも認証セキュリティの世界を知るいい経験ができたと思っています。

楽隠居してもつまらないだけし、私の好きな”Like a Rolling Stone”という言葉の通りに、絶えず転がりながら、新しいことをしていかないと、頭がカチカチになってつまらないことしか考えられない人間になってしまうのは嫌なので、これからも本業で自分にしかできない面白いことをしながら、また刺激的な新しいことを探していくことでしょう。

私のブログもここに書くのはこれで終了です。あとは個人ブログでまた続けていこうと思いますので、縁があったらぜひご覧ください。

では、Have a nice day!
Room#4126